系図から見た出水麓の歴史
重要伝統的建造物群保存地区
鹿児島県と熊本県の境に位置する出水市は江戸時代に北の守りとして薩摩藩最大の外城があった。出水城のあった城山の麓には地頭屋敷が置かれ,県内各地はもとより、秀吉の九州平定の直前は島津氏はほぼ九州の全域を支配していたこともあり、県外も含めて多くの武士集められた。通りも当時のままで、石垣や門が数多く残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 この系図によると、藤原南家の流れを汲む伊豆の豪族伊東祐時は1198年源頼朝より日向国地頭を命ぜられ、七男伊東祐景が日向国に下向した。祐景の5代後の子孫伊東祐武は日向国石塚の地(現宮崎市生目)を与えられ石塚殿と呼ばれた。(石塚家初代) その後、戦国時代、伊東本家の内紛や本家が島津氏に日向の地を奪われたことにより、伊東佑武の子孫は島津氏に仕え、江戸時代の初めに出水に移動して現在に至る。
▶ 系図写真 | |
出水麓の石塚家に代々伝わる系図で、600年代から1800年ごろまで書かれている。 江戸時代の初めに紙劣化につき筆写された系図で、書道半紙20枚に書かれている。 その後江戸時代末期まで加筆されている。 |
▶ 系図解読 | |
系図の解読と史実との照合結果。 旧字や異字体が多く難航したが、なんとか全てを解読した。 |
▶ 史跡写真 | |
系図に関係する史跡などの写真。島津伊東の最終決戦の木崎原や日向妙円寺跡石塔群など、日向と出水郷に関するものを掲載してある。 系図解読と一部重複しているが、こちらの方が写真を豊富に掲載してある。 |