1.家系図について 代々伝わってきた家系図を解読した。 この家系図は「工藤氏継圖」とある。江戸時代初期に筆写され、その後は江戸時代末まで加筆されている。年代からみて途中で数回筆写されたものと考える。全体で199人の名前が記載されている。 系図によると、平安時代に工藤氏から伊東氏へと別れ、鎌倉時代に伊東祐時03の七男祐景05(1252年受領)が日向に下向し13氏に分かれた。祐景05から数えて6代目(庶流)の祐武B12が初めて「石塚」を名乗った(石塚肥後守孫次郎)。この子孫として書かれている。後から下向した伊東氏本家の家臣となり使えていた。 伊東氏本家は島津との最終決戦木崎原の戦いで大敗し、日向を離れた。残された家臣は日向が島津家の領地となり、島津に仕えたものが多かったのであろう。日向を逃れた伊東本家は豊臣秀吉の九州平定の功により飫肥藩を与えられた。徳川の世になってもそのままの待遇で、明治になるまで続いた。 石塚家は1533年の長倉能登守の乱(日向伊東氏の相続争い)のあたりで日向を離れたようである。その後、初めは国分に居て、関ヶ原の戦いのころ出水に移ったと伝わる。日向を離れたあとは苦労したようで、出水では初め禄高も少なかったが、後には禄高も増加している。 この系図を筆写したのは石塚助右衛門尉祐喜A17(出水在住初代)から3代後の石塚弥市右エ門祐類17で、1690年ごろと推定する。最後の記載は祐喜A17から8代目の石塚弥市右エ門祐富20で、寛政5年(1793)3月22日生である。 中臣鎌足01から1401年石塚城(宮崎市)に入城した石塚祐武B12の子孫石塚祐衛14(祐武C14)までの系図は多くの資料と比較し、史実と一致することが分かった。江戸時代については出水麓士族軍役高帳が現存しており諱(名前)の全てを照合できた。また、系図には記載されていないが、明治以降は出水市役所の戸籍謄本で確認し作製した。 祐恭16から石塚祐喜A17の間の3代(戦国時代)ほどが紙劣化で失われているのが残念である。 この系図が作製されたのは鎌倉時代の1252年以降で、江戸時代末期まで約600年間にわたり追加記述されたと推定する。
2.家系図写真について
系図はB4用紙(書道紙)20枚からなり、表装して巻物にした。1枚ごとに写真を撮り、順に並べて写真01~20と番号を付け記載内容を書き出し、史実と照合した。 系図の写真に書き込んだ赤い線は出水石塚への流れである。その他も分かり易いように写真に線を書き込んである。 一部日付(月日)が書き込んであるが、旧暦の日付は現在と少し異なる。
3.記載の規則 ・ 特に説明のない「系図」の用語は本家に伝わる系図を示す。 ・ 人名の青は男子、赤は女子。 ・ 出は出水石塚に続く「諱」、史 は史実と一致することを表す。 郷 は「新編生目郷土史」と、軍 は「軍役高帳」と、戸 は「戸籍謄本」と照合済みを表す。 ・ 同名が複数存在するので、名前の後にA~Dの上付き文字を追加して区別した。 ➡一覧参照 ・ 諱の上付き数字は写真の番号を表す。 例:〇〇A05は「〇〇」は写真05に記載してあることを示す。また、Aは同名が複数存在することを示す。 なお、「*」は系図に記載の無いことを示す。 例:〇〇* ・ 解読できない文字は■で表してある。 ・ 注 で注釈を記載した。また、参考(参考資料)、考察を適宜挿入してある。 ・「目次」の〇〇時代は、資料の記述位置の年代が交錯しているので一応の目安である。 同じ写真の記載でも年代が同じではない。 南北朝時代は室町時代に含めた。また、室町時代の後の部分は戦国時代と重なっている。 ・ 続柄は系図には記載がないが、分かりやすくするために書き込んである。(例 [父:○○]) ただし、家督を継いだという意味であり、養子などの場合は実父ではない場合もある。 ・ 書籍や各種資料からの引用は『 』で括ってある。 ・「」の漢字が数ヶ所あるが、「刑」で表した。 ・ 奈、平、鎌、室、戦、江、明、大、昭、平成はそれぞれ奈良時代、平安時代などを表す。
4.名前について 明治初めまでの武士の名前は次のようになっていた。
・ 名字 |
その土地を支配する一族に由来することが多い。 |
・ 幼名 |
元服まで使われる。(例:牛若丸) |
・ 諱 |
【読み:いみな】実名、本名。元服後に付けられた。 |
・ 通称 |
一般に使われる名前 |
通常は「諱」は使用せず、「名字」+「通称」を用いていたが、歴史上は「名字」+「諱」+「通称」でも表され る。(例:源義経、源九郎義経) 系図は「諱」で書いてあり、その横に「名字」+「通称」などが追加してある。 明治の戸籍法で「名字」+「通称」または「名字」+「諱」のどちらかに統一された。
5.用語解説
・ 早世
|
若くて死ぬこと。 |
・ 〇〇腹 |
母親 |
・ 大夫 |
【読み:だいぶ】律令制の役職 |
・ 御前
| ① 貴人の前、または貴人の座の前。おまえ。②大名、旗本、またその妻の敬称。ごぜん。 |
・ 尉 | 【読み:じょう】律令制(7世紀後期に始まり10世紀頃まで続いた)の役職の一つ。律令制がなくなった後は名前の後に勝手に付けていた。(例:左衛門尉) |
・ 嫡男、嫡子 | 正室の生んだ男子のうち最も年長の子を指す。女子の場合は嫡女となる。 |
・ 猶子 |
【読み:ゆうし】明治以前において他人の子供を自分の子として親子関係を結ぶこと。系図では養子と同じ意味で用いられている。 |
・ 世子 | 【読み:せいし】世嗣とも書く。諸侯、大名など貴人の跡継ぎ。 |
・ 嫡流 |
[読み:ちゃくりゅう】氏・族の本家を継承する家筋・家系のこと。 |
・ 庶流 |
本家から分かれた家柄。分家、別家をした家すじ。 |
・ 被誅 |
下位の者が上位の者に殺されること。 |
・ 〇〇卒 |
死亡の意味で使われる。 |
・ 筆写 | 書き写すこと。 |
・ 女 | 【読み:むすめ】娘のこと。(例:清少納言は清原元輔の女) |
・ 下向 | 都から田舎へ行くこと。 |
・ 上洛 | 京都に入ること。「洛」は京都を指す。 |
・ 御免被る | 【読み:ごめんこうむる]「被」は「蒙」とも書く。①相手の許し(正式に免許・認可)を得る。②嫌だと断る。 |
・ 客死 | 【読み:かくし、きゃくし】旅先や他国で死ぬこと。 |
・ 安堵 | 【読み:あんど】①権力者から土地所有権を認められること。②以前の知行地(給地)をそのまま賜ること。 |
・ 還俗 | 【読み:げんぞく】僧侶になった者が俗人に戻る事。 |
・ 外城士 郷士 | 地方に住む半農藩士の武士で、はじめ外城士と呼んでいたが後に郷士と呼ぶようになった。城下に住む武士は城下士と呼ばれ身分の差があった。 |
・ 家督
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【読み:かとく】一族や家の長としての権利と財産。鎌倉時代は権利は嫡子単独相続、財産は分割相続。室町時代は両方とも嫡子相続を原則。江戸時代は嫡子単独相続。昭和22年5月3日以降廃止。 |
・ 釣
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系図の氏名を繋ぐ線のこと。通常縦書きなので釣り合っているように見えるため。 |